2014年11月30日

「神様感じるから鏡じゃない」のね。

ありがとうおじさんの話

明るい方から暗い方を見るのね。例えば、外が暗闇で、
透明なガラスだったら、部屋の中に電気が点いたら明るくなり、

鏡になるでしょう。でもお昼だと中に電気を付けても外の方が明るいから、
ガラスすごしに外の景色が見え、光が見えますよね。神様というのは、

「輝く姿」と「鏡の姿」の両方の働きをしてくれるのです。
自分が、本当の神様、根元の光の方へ向いた時、

「ありがとうございます」と向いた時は、回りが明るく見えるのね、
「神様感じるから鏡じゃない」のね。

 ところが神様に背向けた途端に、闇の方へ向くでしょう。
暗い方へ向くと、みんな鏡に見える。今の自分の心を

映す鏡になって環境が出てくる。だから「ありがとうございます」
と唱えている時は、輝いて見え出すのね。だから「ありがとうございます」を忘れると、

本当の神様を呼んでないと、自分が神様に背を向けている状態なの。
そうすると、その心境に応じて、回りにいろんな鏡に映る姿が見えてくるのです。

だから、神社の神様の御神体を鏡にしたのは、
そういう二通りの意味があるのね。「本当の輝きの姿を見て欲しい」

というね。また、「暗い方へ向いたら、鏡の姿で見せますよ。
反省してもう一回神様に向きかえってください」っていうような意味ね。
posted by マッチ at 21:26| Comment(0) | ありがとうおじさんの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

先ず 根本は「神様への感謝」なの

ありがとうおじさんの話

「徳」という漢字の読みは、ギョウニンベンに、
昔の字で直接の「直と心」と書いてあるんです。

だから、「直心を行ずる」(じきしんを行ずる)といいます。
「直心」というのは、「神様の根元の働き」を言うんですが、

「直霊」ともいいます。神さまの御心を行ずるのが「徳」なんです。
 だから、神様の働きが本当の意味の「徳」ですね。

その神様が、一瞬一瞬、新しい宇宙を創り続けているという働きそのものが、
本当の意味の「徳」です。「新たな全徳の無限の無限の輝きが一杯」
というのが、一瞬一瞬、神様の宇宙創造の姿なの。

その徳を頂くと自分のものになるのです。 でも、世間的に言うと、
「何か良いことをして徳を積む」という意味もありますね。
それは、特に「陰徳を積む」と言うんですけど、

まあ、神様の真似事をすれば、本当の「徳」に近づくんですね。
 でも、本当の徳は、「神様の働きそのもの」なんです。

 だから「自分が徳を積む」という場合でも、神様の徳を、
感謝の心を起こして受けた方がいいのね。 

感謝で受けるという方が大きい無限の徳を頂けるんです。
 逆に言い換えると「感謝することが大きい徳積み」です。 

この肉体使っていろんな世の為、人の為に尽くすことも良いのですが、
先ず 根本は「神様への感謝」なの。「ありがとうございます」

を唱える事が、本当の意味の大きい徳積みになって、
それが自然に具体化したら、世の中の為に必要なことを、

結果として「させて頂いている」という姿になるんです。
それが自然な「徳」の積み方ですね。
posted by マッチ at 07:20| Comment(0) | ありがとうおじさんの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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